Vol. 322
前回のブログで、アメリカの「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギー氏について
取り上げました。
今日は、日本の「鉄道王」初代根津嘉一郎氏(1860~1940)についてを。
根津氏は、東武鉄道の社長などを務め成功された方。
経営面では合理主義者であった一方で美術品を収集。
青山にある根津美術館では、
氏の数々の美術品を美しい日本庭園と併せて鑑賞することができます。
なお、最近こちらを訪れ、ブログ~日々の気づき篇~で触れたところです。
http://ameblo.jp/casset/entry-10411001312.html
なぜ、経営では徹底した合理主義の人が、美術品のコレクターとなったのでしょうか?
この点について、先日のNHK日曜美術館で解説されており、なるほどと思いました。
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以下、NHKのサイトより抜粋:
この奇跡的なコレクションの大半は、
根津嘉一郎(1860-1940)が一代で成したものである。
甲州出身の嘉一郎は、東京に出て、東武鉄道など多くの鉄道会社の経営に携わり、
「鉄道王」と呼ばれた。この徹底的に合理的な実業家が、一方で、
名品が市場に出ると聞くや、周囲が驚くほどの高額で手中におさめた。
いったいなぜなのか?
嘉一郎が本格的に収集に乗り出した当時は旧大名家や富豪たちが
先祖伝来の家宝・名品を続々と売り立てに出し始め、
非常に安く売買されていたため、
名品の多くが海外のコレクターの手に渡っていった時期であった。
嘉一郎はそれを阻止し、国内に名品をとどめおこうとしたのである。
また一方でアメリカ視察がきっかけとなり、
「公共」のための事業、社会への文化的な貢献にも意を用いるようになる。
それに伴い収集は個人の趣味をこえて、より幅広いものとなっていった。
そして遺言により美術品を子孫にではなく、
財団に譲渡し、美術館が誕生したのであった。
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アメリカ視察では、ロックフェラーが事業で成功した後に
慈善活動を精力的に行ったことを知り、影響を受けたといいます。
その例として、シカゴ大学などの教育機関の設立をはじめ、
多方面への多額の寄付金があり、
根津嘉一郎の場合、日本の美術品の海外流出を防ぐための一手にでた、
ということなのです。
これで、徹底した合理主義の人が、美術品のコレクターとなった謎が解けますね。
経営で成功した後に、その富をさまざまな形で世の中に返すという例の一つです。
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